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    船体を洗ひ終つて、これから雑具にかゝらうとしたときだつた。彼はふと対岸に目をやつた。物音がしたわけでもなければ、気配を感じたのでもない。しかるに、そこの路の曲り角には、まるで符合したやうにその時きらきら光る真新しい自転車に乗つた男が現れたところだつた。

    「ふうん、それもよからう」

    と訊いた。

    「へゝえ、わしらは用意がえゝですからね、あんな蜜柑箱みたいなもんはすぐこはれるにきまつてるから、家を出るときこゝにつけて来たんでさあ」

    徳次はきまり悪げに、しかし、又あのきよろりとした眼つきにかへりながら云つた。

    「何んの。面倒だからこのまゝ行かう」

    ことしの梅雨も明けて、温泉場繁昌の時節が来た。この頃では人の顔をみれば、この夏はどちらへお出いでになりますと尋ねたり、尋ねられたりするのが普通の挨拶になったようであるが、私たちの若い時――今から三、四十年前までは決してそんなことはなかった。

    徳次はやつと安心した。さう云はれてみると、なるほどちつとは大きいかなと思つた。持つて来た甲斐があるといふものだつた。

    「小倉組といふと、下の工事場の方ですな」

    と云ふ疳高かんだかい大きな声があたりに響きわたつて房一を面喰せた。

    「さうか、惜しかつたな」

    「畜生、おぼえていろ。」

    「なに、切れてるつて?」

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