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と、云つた。
江戸時代には箱根の温泉まで行くにしても、第一日は早朝に品川を発たって程ヶ谷か戸塚に泊る、第二日は小田原に泊る。そうして、第三日にはじめて箱根の湯本に着く。ただしそれは足の達者な人たちの旅で、病人や女や老人の足の弱い連れでは、第一日が神奈川泊り、第二日が藤沢、第三日が小田原、第四日に至って初めて箱根に入り込むというのであるから、往復だけでも七、八日はかかる。それに滞在の日数を加えると、どうしても半月以上に達するのであるから、金と暇とのある人々でなければ、湯治場めぐりなどは容易に出来るものではなかった。
喜作は、
「さうよ。てめえはその大将だらう」
注意深い読者はすでにお気づきだつたらうが、この二人の人物の間で若しどちらか相手の御機嫌をとらねばならない立場にあるとすれば、それはさしづめ房一である筈なのにどうも反対に相沢がさうであるやうに見える。彼が馬の所へ歩みよつたのも、房一の気に入りさうなことへ先潜りして行つたところがないでもない。ちよいちよい顔を出すをかしな傲慢さの他に、相沢には何か理由があつてのことか、それとも誰との場合にも相手に取入らうとする性癖があるのか、それはまだ吾々には不分明であるが、相沢が若し房一の気に入らうとつとめているとすれば、それは第一歩に於いて稍成功したと見るべきである。
この廃坑は旧幕時代の末頃まではまだ採掘されていて、これあるがために河原町は当時幕府直轄の天領となつていた。そして、上流にある城下町の藩主が参勤の途上この河を利用して下る時、天領との間に何か紛争の糸口のつくのを憚はゞかつて、河原町の傍を通る間は舟に幕をはり、乗組の者は傍見をして下つたと云ふ。それほどであつたから、この領内の民は他領との縁組を嫌ひ、他領から移り住む者を許さなかつたし、狩猟とか交通とかその他様々な点で非常な横暴と特権とを許されていたものだつた。
「さう、知つてる、知つてる」
「やあ」
「いや、どうも。恐縮です」
「おーい、火事はどこい行つたあ」こんな風に、口々に喚いていた。
彼は重ねた両膝の間に尻を落すやうにして坐つていた。それは七十近いこの年まで坐りつゞけ、他の坐方を知らない者に独特な、云はば正坐しながらあぐらをかいているやうな安楽げな恰好だつた。そして、何か話すたびに前へ首を落すので、その猫背はだんだんと前屈みがひどくなつて、胴から上が今にも両膝の間にのめりこんでしまひさうに見えた。が彼がすこぶる上機嫌でいることは房一の目にも見てとれた。
それで一たんは静まつたやうではあつたが、その中にはかへつて不気味な気配けはいが潜ひそまつていた。黒くかたまつた人達はその場を去らうとはしなかつた。房一が向ふへ行つている間に、構内の人影はすつかりいなくなつてしまひ、黒い建物の奥にちらついていた官舎の明りも見えなくなり、焚火も消されたが、それはしばらくするとちよろちよろと又燃え立ち、人気のなくなつた構内の庭を少しばかり明くしていた。が、下方では殺気立つた空気が暗らがりの中に暗く、圧するやうに籠つていた。あちらこちらに人はかたまり、がやがや云ひ、或る塊りは黙りこみ、その間を何人かが動き廻つていた。ふいに、投石したのかそれとも何か中の人が躓いたのか、建物の方でチヤリンといふ硝子ガラスのこはれる音が立つた。一所では焚火がはじまつていた。それは猛烈な勢ひで高く燃え上り、かこんだ人達の顔を赤鬼のやうに照し出した。が、すぐに制止され、小さくなつたが、又しばらくすると以前にまして燃え立つた。方々に大きい焚火、小さい焚火がはじまり、そのまはりに集つた人達はもうどうしても動く気配はなかつた。
「お松ですか?お松は半之丞の子を生んでから、……」
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