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相沢は満足さうに馬の首を叩きつゞけていた。房一は思はず微笑した。彼にはこの時の相沢がひどく愛嬌あるものとも見えたからである。けれども、房一自身の顔にさつきから現れているものも、ちやうど子供が好きな物を前にしたときに見せるあの熱心さと同じ表情だつた。
房一は叫んだ。犬は房一の顔を見上げ、二三間走り、後がへりをし、それから急に葉の落ちた灌木の中にとびこんで行つた。がさがさやつて、ずつと先の路に出た。きよとんとし、時々匂ひを嗅いだ。
「もう一人後から来るかもしれませんが、そしたらよろしく頼んます」
「あれから――あんたに鮒をとつて上げようと思つて、今さつきまで淵に附いとつたんだが、たつたこれつぽちきり獲れなくてね。上げるといふほどの物ぢやないけんど――」
房一はにやりとした。水神淵と云へばこゝらで一番のギギウの棲家だつた。彼等はよく出かけたものだつた。岩の上に腹ばひになつて巣の前に糸を垂らす。すると、水底では今針から落したばかりの奴が懲りもせずに餌に食ひつく、水気で腹の下の岩は生暖いが背中は日でぢりぢりして来る。急に水にとびこんで身体を冷やす、それから又足を逆さに今にも落ちこみさうな恰好で岩の上に腹ばひになる。――
「おぢいさん。これを主人うちが着るんですよ。主人ばかりぢやない、町の戸主はみんな!それこそ、代人はできないんださうですよ。そして、御神輿おみこしの後について町中を行列して歩くんださうですよ。――まあ誰が考へ出したんでせう!さぞいゝ恰好でせう!ねえ」
――「おれみたいな息子ができるとは、全くどうかと思ふよ」
「なんだ、さつぱり判らんぞう」
「さうです。相談があるからと云ふんで帰つて来たんですが、僕なんか何も問題はありませんよ。返すものがあれば、いつでも返します。何もないんですよ。家と、田地が少し。それも抵当に入つていますよ。僕がしたわけぢやない。兄貴が選挙の費用だの何だので金が要つたのでせう」
「それあきまつてる、猟銃だもの」
徳次と今泉とはふだん滅多に顔を合はさなかつた。と云ふのは、徳次は河商売で、今泉は彼がいつも口にするやうに「役所」づとめだつたからである。今泉は二軒置いた隣りに住んでいた。徳次の家は汚かつたが自分の家だつた。今泉のは借家で、ぐつと小さい家だつたが、小綺麗に住んでいた。徳次は何となくそれが気に入らなかつた。その上、今泉のいつも剃り立てみたいに青々した四角な顎だの、鋏でつまみ立てたやうな鼻髭だのを一分とは永く見ていられなかつた。何だか胸がむづむづして来るのである。だから、たまに行き会ふと、徳次は
彼は年に似合はず厚く生えた白髪まじりの頭を短か目に刈り上げ、多少猫背になりながら袴の両脇から手を差しこみ、心持肱を張つて坐つていた。それは何々翁肖像といふ掛軸を思はせるやうな古風な律義さと端正さを現はしていた。
と、云ひながら徳次の肩をつかんで押しもどした。誰もが疲労のための一種煤すゝけじみた鎮静を現していたにもかゝはらず、練吉だけは明かにまだ興奮していた。と云つて悪ければ、恐しく深い印象を与へられたものの如くであつた。そして、一応の取調べを受けに、二人の責任者が参考人として自動車に乗せられ、本署のある町まで同行を求められたときに、練吉は自分も乗う込まうとして加藤巡査にひきとめられた。
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