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彼は眩しさうに眼をしかめた。それから、酔つて居なくても同じやうにふらりとした足つきで河の方へつゞく露地の間へ入らうとした。そのとき、何を思つたか足をとめて、路上に突立つたまゝ上手の方を眺めた。
彼はそれを云ひに来たのだつた。
「痛むか?」
「ねえ!」
「さうさう、先だつてはお加減がわるかつたさうですが――」
「さやうさ。当今では大分世智辛せちがらくなりましてな。薬価の代りに畑の物を貰つてすませる位のことはさう珍しくはありませんよ」
高間医院の待合室で、彼等は馴れない薬の香を嗅ぎ、一様に重たい、沈んだ表情を浮かべて、或る者は黙つて放心したやうに戸外を眺め、或る者は低いゆつくりした声でぽつりぽつり話し合ふのであつた。汗ばんだ匂ひや土の香、洗ひざらしの紺の野良着、熱の気配――それらは或るたとへやうもない倦怠と肉体的な不快を呼び起させる何物かによつてみちみちていた。それは農夫達の生活の一部が方々からこの待合室に持ちこまれて、この一所に、陰鬱な空の気配や、石塊いしくれの多い山合ひの畑での労苦や、長い畦あぜの列や、それらのいつしよくたになつた重々しい雰囲気を再現しているやうに思はれた。
「ね、君」
「私もこれで元は法律書生でしてね。司法官か弁護士試験でも受けるつもりで、神田の私立大学に通つていたもんです」
「それで――?あゝ」
このポインタアの雑種は、房一の往診にはどこへでもついて来た。いゝ路づれだつた。
こんな風でありながら、盛子は小ざつぱりと身ぎれいで、いつの間にそんな雑用を片づけるのかと思はれるほどだつた。いくらか背高ではあつたが、その身体つきにはふしぎな柔味が感じられた。それは娘の頃のまとまりのない柔さではなく、成熟した靱しなやかな柔味だつた。彼女自身はさういふ結婚後の肉体上の変化に気づかなかつたが、それは無意識のうちに感じている房一との結婚生活の幸福さを意味するものだつた。
と、急に練吉が小耳にはさんで云つたのは、多分黙つて他のことを考へていたのだらう。
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