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「じゃそのお松まつと言う女はどうしたんです?」
ゆつくりと時間をかけて、楽しみ楽しみ喰べた。それは喰物のおいしさよりも、かうやつて小娘のやうな真似をするのがおいしかつたのだつた。
「それあ、あつさりしていゝですな。こつちでは山車が生憎あいにくこはれて、満足なのは一つしかないんでね。あんまり淋しいからと云ふんで、こんな思ひつきをやらかしたらしいですがね」
そして、事実その通りだつた。盛子にはさういふ才能があつたのだ。房一と結婚して今の家に世帯を持つや否や、彼女の綺麗好きと器用さはすぐさま形を現した。入つた許りの時には黴かび臭く古ぼけていたこのだゝつ広い家が、ひと月かふた月たつうちに廊下も柱も戸棚もすべて拭きこまれるべき所はまるで見ちがへるほどぴかぴかして来た。はじめは家具が少いためにがらんとして見えた部屋々々もどことなくまとまりを感じさせるやうになつた。今でも、盛子は朝から晩まで何かしら細ま細ました用事を見つけ出しては働いていた。まるで彼女の行つた所、指で触れた所から片づけたり繕つくろつたりする仕事がぴよこりぴよこり起き上つて来るやうに見えた。押入れを開ける、すると襖紙の小さな破れが目についた。そいつをすぐに切り貼りする。台所の土間に降りると、床下から薬品を詰めて来た空箱がいくつも縄切れをはみ出させたまゝ押しこんであつたのに気づく。風呂の焚口たきぐちの所に行くと、造作に使つた木材の余りがそのまゝになつているのを思ひ出して焚きつけの分と燃料用の太いのとを撰り分けて置くと云つた案配である。
好い座敷には床の間、ちがい棚は設けてあるが、チャブ台もなければ、机もない。茶箪笥や茶道具なども備えつけていないのが多い。近来はどこの温泉旅館にも机、硯すずり、書翰箋しょかんせん、封筒、電報用紙のたぐいは備えつけてあるが、そんなものは一切ない。
徳次は答へることができないで、又あの不器用な笑顔をつくつた。それから、船がごとんと岸に突きあたるはずみに、房一の前にとび降りると、突拍子な調子で
練吉はまだ眼鏡を手にしたまゝ、不自然に大きく見える眼を極端にぱちぱちさせ、ぢつと房一の顔をのぞきこんでいた。彼は今さつき、突然の房一の来訪でよび起されたのである。
徳次は房一が顔を洗ふ間傍に立つて眺めていた。それからふいに訊いた。
「それあ、あんた」
「なに、切れてるつて?」
低地になつた野菜畑の間を抜けて、まるでどこかの城跡の石垣めいた、頑丈な円石を積み重ねた堤防の上に次第上りに出ると、いきなり目の前に、日を受けて白く輝き、小山のやうに持上り、凹み、或る所では優しげになだらかな線を引いた、だゝつ広い河原の拡がりが現れて来る。
威勢よくやつて、相手にされると腰を落ちつけて、人の好さがまる出しになつて、大声で喋りまくる。と云つても、彼自身には何の話の種もないので、多くは人の相槌を打つたり、今他人から聞いた通りのことを彼の声音で何か別の話のやうに見せながら話すだけなのである。
すさまじい怒気のやうなものが、房一のあらゆる部分に燃え立ち、彼のいかついむくれ上つた肩は二倍も大きくなつて見えた。それに圧倒されたものか、物音は止んで、房一が何かしきりと云つているのが聞えたが、間もなく二三人がごそごそ土手を降りて行つた。
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