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家の中でも彼は「悪たれ」であつた。一番上の兄は身体こそまだ大人ではなかつたが、一人前の野良仕事ができた。この兄は非常に無口で働き者であつた。次の兄も学校はすんでいたが、非常な好人物で、終日何を言はれても笑つていた。彼も野良を手つだつた。房一はけつして手つだひをしなかつた。どんなに叱られてもいつの間にか家を抜け出して、時には野良からそのまゝ近所の山へ木の実とりや河遊びに逃げ出した。たゞ彼が神妙に野良に出て、用事がなくとも畔くろに腰かけて立去らずにいる時は、きまつて馬がいるのだつた。
「何でもないぢやないかね、君から聞いたとほりだ。心配することはないと思ふな」
「さうです。――どうかなさつたかね」
と、云つた。
そこへは、案内も乞はずに、小谷吾郎が気がるに裏口から入つて来た。
半シャツの男は房一の前に来て、はじめてお辞儀らしい格好をした。
そこで自分がどんな取扱ひをうけるか、あたり前の医者としてか、それとも単に「芋の子」に過ぎなかつた高間道平の憎まれ息子としてか、房一は少からず興味を持つた。が、大体予測がつかないではなかつた。きつと、医者として認めたがらない気持がそのまゝ現れるだらう、と。
だが、あれだけの人数を僅か三四十分の間にどうして引上げさせたものだらう。本署から自動車で署長以下がやつて来るといふ噂も効果があつたにちがひないが、房一はじめ、神原喜作も練吉も小谷まで、それから後から馳けつけて来た四五人の主だつた連中も声をからして説得してまはつたので、又、半鐘が鳴つてからもう三時間近くもたつていたので恐しく冷えこんで来た夜気は焚火にあたつている側だけが熱いばかりで、背中がぞくぞくするほどだつたから、容易に引上げなかつた人達もさすがに疲労し、興奮がさめ、三々五々散らばつて行つたのである。
「そんなことができるもんかねえ」
房一は苦笑した。
「ね、どこも悪くない。だが、その丈夫な身体の中に虫が巣をつくつとる。いゝかね、心臓病とか腎臓病とかいふやうなものではない。虫を駆除する、つまり身体から出してしまへばあんたの身体はもと通りぴんぴんして来る。悪い虫だが、とつてしまへばよいのだから、他の病気よりは性質はいゝと云ふことになる。――判つたかね」
済んでもまだ、彼の顔は何かしら当惑した、おつかなびつくりといつた表情を浮かべていた。それは何だか、嫌な仕事をさせられた子供のよくやるやうな表情だつた。突然、盛子は了解した。そして、笑ひ出した。――このいかつい、頑丈な、むくむくした房一の中には、こんなに気の弱い、やさしい、何だか可愛げなものがあるのだつた。それは全く、彼には不似合なものだつた。それだけに、可笑をかしみのある、又親しい――。
房一は下駄をつゝかけて外にとび出していた。何気なく腕時計をすかして見た。七時半だつた。まだそんな時間か、とびつくりして考へたのをおぼえている。すぐ傍を、人が駆け抜けていた。房一も走り出した。どういふものか、さつきうす暗がりで見たぼんやりした小さい白い時計の文字盤が頭の中で見えていた。走り出した方は真暗らな畑中の路だつた。今、房一の右にも左にも誰とも判らない人が一杯で、腕や肩がぶつかつた。小谷も練吉もいつしよに駆け出して来た筈だつたが、どこにいるか判らなかつた。
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