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    はるか下流の方で、鈍いが、重味のある大きな音が響いたのだ。それは、はじめぼおーんといふ風に聞え、つゞいてドカンドカンと来た。

    だが、彼等が危ぶみ、恐れ、半ば期待していたやうに、歩いて行く両側はこんなに町に人がいたかと思ふほど黒山のやうな人だかりであつた。見覚えのある顔が、真紅になつて笑ひこけ、指さしをし、何か囁き合ひ、子供達は日頃馴染めなかつた大人達がこんな風変りな恰好で歩くのを見てすつかり有頂天になり、わいわい云ひながら行列につきまとつていた。しかしながら、神官達の方にも案外な度胸ができていた。お揃ひの恰好といふ点だけでなくとも、かういふ風に観物にされるのは一人ではなかつた、誰しも忍び笑ひから免れることはできない。その意識が今や共通した一箇の仮面のごときものを与へ、まさにそれが行列を形造つていたのである。どういふものか、誰もが皆生真面目な顔をしていた。小谷には紙ながら衣冠束帯がよく似合つていた。が、誰よりも一番似つかはしかつたのはあの老来なほ矍鑠くわくしやくとした端正な鍵屋の隠居、神原直造であつた。恐らく疲労からであらう、彼はさつきからにこりともしていなかつたが、それがなほのこと一種の威儀を具へるのに役立つた。臆病げに伏目になつた堂本と背の低い痩せた庄谷には、衣裳が大きすぎて、何だかばくばくしていたが、二人とも大真面目だつた。(千光寺さんだけは代りに寺男が出た)そして、徳次でさへ、あのきよろりとした眼で方々を見ることなしに、口ももぐもぐさせずに固く噤つぐみ、そのために突きとがらせた風になつてはいたが、やはり正面を向いてゆつくりと行列の歩調に合せて歩いた。

    徳次はしばらく考へていた。

    「何者かつて云ふが、そもそもこゝで半鐘をたたいたから集つて来たんだぜ」

    それから幾日もたたないうちに半之丞は急に自殺したのです。そのまた自殺も首を縊くくったとか、喉のどを突いたとか言うのではありません。「か」の字川の瀬の中に板囲いたがこいをした、「独鈷とっこの湯」と言う共同風呂がある、その温泉の石槽いしぶねの中にまる一晩沈んでいた揚句あげく、心臓痲痺しんぞうまひを起して死んだのです。やはり「ふ」の字軒の主人の話によれば、隣となりの煙草屋の上かみさんが一人、当夜かれこれ十二時頃に共同風呂へはいりに行きました。この煙草屋の上さんは血の道か何かだったものですから、宵のうちにもそこへ来ていたのです。半之丞はその時も温泉の中に大きな体を沈めていました。が、今もまだはいっている、これにはふだんまっ昼間ぴるまでも湯巻ゆまき一つになったまま、川の中の石伝いしづたいに風呂へ這はって来る女丈夫じょじょうぶもさすがに驚いたと言うことです。のみならず半之丞は上さんの言葉にうんだともつぶれたとも返事をしない、ただ薄暗い湯気ゆげの中にまっ赤になった顔だけ露あらわしている、それも瞬またたき一つせずにじっと屋根裏の電燈を眺めていたと言うのですから、無気味ぶきみだったのに違いありません。上さんはそのために長湯ながゆも出来ず、々そうそう風呂を出てしまったそうです。

    どういふ加減からか、それを云ふ時、相沢はぐつと又相手の顔をのぞきこんだ。それは何となくもつたい振つた、重々しい様子だつた。

    「いゝえ、なんの。おれんとこへなんか。――あんたは忙しい身だもの」

    徳次は何かしら話に困つていた。で、彼は真面目な熱心な目つきで犬を眺めた。ところが、この犬まで普通のものとはちがふやうに思はれた。それは確かに「医者の犬」だつた。短い白毛の生えそろつた地はちつとも汚れていなかつた、茶斑の所は艶があつて上等の織物の模様みたいであつた。そして、全体に清潔でゆつたりしていた。

    が、房一をよく知つている者にとつてはその低い居場所がよけい注意をひくらしかつた。千光寺の住職は何気なく一座を見廻しているうち、思ひがけない所に房一を見つけ、ちよつと顔色を動かせた。それから、時折房一の視線を捕へて会釈ゑしやくしようとしたが、遠くて駄目だつた。庄谷は逸早く房一の席に気がついたらしい、が、その殆ど白味ばかりのやうな細い眼にちらりと微笑を浮べたきりだつた。

    何となく身体が倦だるかつた。それにちがひはない、今日は珍しく朝早くから川につききりで、おまけに呼びもどされるとすぐ今の騒ぎだつた。埃で黄くなつた頭髪、泥と血の塊り、男の不安げな眼、それからあのいくらか仁義を切るやうな半シャツの甥の身構へだの、それらがもう一度頭の中に蘇よみがへり、一列になつて通つて行つた。

    威勢よくやつて、相手にされると腰を落ちつけて、人の好さがまる出しになつて、大声で喋りまくる。と云つても、彼自身には何の話の種もないので、多くは人の相槌を打つたり、今他人から聞いた通りのことを彼の声音で何か別の話のやうに見せながら話すだけなのである。

    「これはどこに置きますかね、この漬物桶は。――はい、はい。どつこいしよ、と」

    練吉はまだ眼鏡を手にしたまゝ、不自然に大きく見える眼を極端にぱちぱちさせ、ぢつと房一の顔をのぞきこんでいた。彼は今さつき、突然の房一の来訪でよび起されたのである。

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