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    「何んの。面倒だからこのまゝ行かう」

    盛子は、ほんの僅かではあつたが、速い、鋭い身ぶるひをした。そして、あの伏目がちになつた眼を上げ、ぢつと房一をたじろがせるほどつくづくと見入つた。そこには、以前そのまゝの張りのある眼をした、だが、弱い深い複雑な色が動いていた。妊娠以来急に人が変つたやうに見える、何となく房一の心を見透すやうな、捕へがたい、鋭い盛子がのぞいていた。多分、それは房一の思ひちがひだつたかもしれない。だが、彼はそこに、やさしい、けれども何となく苦手なものを感じていた。

    「あら!いらつしやいませ。ようこそ。――ほんとうに、よくまあ!」

    「ねえ。――はやく。――患者ですわ」

    いきなり忙せはしなく立上ると庫裡へ走つて行つて、間も無く茶器を揃へた盆を自分で持ち運んで来た。長い胴を折り曲げるやうな危つかしい調子で房一の前に置くと、

    「昨日、君とこの奥さんがバスに乗るところを見かけたが、――」

    「これから又お出掛けかね」

    間もなく二人は来た時と同じに、つれ立つて、いくらか日蔭のできた路を、どういふものかどちらも自転車に乗らうとはしないで、押しながら歩いていた。

    その時、練吉はぐつと盃をつきつけた。

    とにかく、それは遠い向ふで起つていることだつた。対岸の火事を見物するやうなものだつた。

    その住居の端々はしばしにまで行きわたつている潔癖さは、同時に大石正文夫妻の年来の好み、その生活の信条といつた風なものをも漠然と現はしていた。

    「かういふ玩具おもちやのやうなものを出して、年甲斐もないことでした」

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