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    彼は自転車[#「自転車」は底本では「自転者」]にのつた。走り出した。風が頬をかすめた。房一の紅黒い、生真面目な、醜い、厚ぽつたい顔が目の前にのこつていた。

    「どういふことです、わたしにはさつぱり――」

    と、きよろりとした目つきに返つた徳次は、立ちはだかつたやうな恰好になりながら、房一の傍に停つて訊いた。

    「徳さんが、――今、そこに、おかみさんが来てるんですわ」

    男はうむを云はせなかつた。

    傍にいた赭あから顔の老人が低い声で云つた。

    云ひ終ると、直造は叮重ていちように頭を下げた。

    しかし、さういふ身体の忙しさより何よりこたへたものは、房一にとつては肉親の大病を診察するといふはじめての経験だつた。

    盛子は、歯切れのいゝピツと語尾の跳ね上るやうな調子で、愛想笑ひをしながら小谷に訊いた。

    「いや、これから往診に行くところだ」

    「さうか、惜しかつたな」

    「ねえ。はやく」

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