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しかし、いづれにしても、房一がかういふ率直な頼み方に出たことは練吉の気をよくした。彼は熱心に診た。この結果が房一の診断と大差なかつたにもせよ、たゞそれだけでほつとした面持になつた房一を見ると、練吉は何かしらいゝことをしたやうな気にもなつた。軽蔑とまではいかないが、たとへ心ひそかに房一を医者として自分と同列に考へなかつたとは云へ、そして、肉親を診る時に心が乱れて困るといふ房一の打明けををかしがりはしていたものの、この房一の隠すところのない当惑の様子、その正直さは、知らず知らず練吉を同化させるやうなものを持つていた。
「まだなかなかでせう。永いこつてすよ」
第四章
一方、正文はこの大人と子供と混まざり合つたやうな、身体だけは大振りな、女にかけては強したゝかな息子を前にして途方に暮れた。彼はあれほど自分の思ひ通りに仕立てようとしたにかゝはらず、思ひもよらぬ息子として現れた練吉に対し、今遅蒔おそまきながらその心底に立つて理解してやらうと試みていた。だが、何といふ支離支滅な、性懲しようこりもないふしだらだつたらう、どういふ風に彼の云ひ分に耳を傾け、どんな風に彼を認めてやればいゝのだらう――そこには何一つ彼の型にはまつた見方にあてはまるものはなかつた。ぐらぐらした、手に負へない、いたづらに父親である彼の胸を暗くし、息をつかせない思ひをさせる、愚かな、口の達者な、だが何となく見捨て切れないもののある、それは彼自身の息子にちがひないが、あれほど入念に手塩にかけたつもりでいながら、彼の手などは一つと云へども加つてはいないといふ気のする、得体のしれないものだつた。
「痛むか?」
かういふ場合によく現れているやうに、彼等は、房一が農家の出であるといふことで非常な気易さを感じているらしかつた。同時に房一自身にとつても、彼等を診察したり、その苦しげな或ひは面白げな話に耳を傾けたりするとき、非常に馴染深い或る物、彼の存在の奥深くに響き答へる或る物が感じられるのだつた。そして、その或る物は単に彼等農夫との間ばかりでなく、河原町全体、この懶ものうげな町の様子や、温かげに見えて手を入れると冷い河の水流や、雑木の目立つ山々や、銅山の廃坑の赤い土肌や、それら全体の中から房一の見つけているもの、そして、その或る物は目にふれるや否や、ちやうど飼ひ慣らした犬が主人を見つけて一散に飛んで来る、そんな悦ばしげな感情をもつて房一の胸にとびこみ、彼の中に柔い落ち着きと平和を築き上げて行くやうであつた。
「うん、寄りがあるからな、あんたはうちに帰つとんなさい」
が、材木置場の混乱にもかゝはらず、そこから一段と小高くなつている出張所の構内では、やはり高張提灯がかゝげられ、焚火が燃え、人が立つて歩いていたが、をかしい位にひつそりし、柵のところにかたまつた人影は下方の混乱を黙つて見物しているとしか見えなかつた。
この路をそんな恰好で通るのは近くにある営林区署の役人か発電所の技手ぐらいのものだつた。だが、そのいづれでもないことは、段々近づくにつれて目につくあまり見かけない猪首のやうな肩つきと、自転車のハンドルにしがみついたやうに見えるその円まつちい体躯、それらの印象の与へるひどく不器用な乗り方などによつて、すぐと知ることができた。
「これですか――?」
が、練吉が駆け登つたのを見ると、先方の男は急に威丈高になつて怒鳴つた。
今泉は元陸軍の下士官であつた。退役後彼は河原町に帰つて役場につとめた。生れは河原町の在で、そこに帰れば自作農程度の田地があつたが、どういふものか野良仕事がすつかり嫌ひになつていた、彼は聯隊か、師団司令部の表札がいつまでも好きだつた。彼の話の中には聯隊長だとか師団長だとかがよく出て来た。又、自分の下士官時代の上長官の名をよく覚えていて、時々異動の発表されるごとに新聞紙を丹念に読み、「ほう、少将進級か」とか、「ふむ、アメリカ大使館附か」とか、しばしば感嘆の声を洩すのであつた。
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