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    「いや別に忙しいこともありませんですよ」

    「ほらね、かういふ形のと、又別にかういふのがあるだらう」

    その時、彼等は近くに坐つている房一に気づいた。話に出ている鍵屋の分家とは、まさに房一の借りている家のことだつたし、その所有者は神原喜作にちがひなかつたから。

    房一は生返事をしてからふり向き、うなづいて見せた。彼はよく聞いてはいなかつた。

    「うん、おれもこないだ通り合せたんだが、前を山支度の娘が寵をかついで歩いているんだな、するとやつぱり大声でからかつとつたよ」

    だが、それがこの土地には縁がなく、遠い四国のことだと知ると同時に、彼の興味は消えてしまつた。彼は又、「あん」と小莫迦にした風に頭を下げて、わきへ行つてしまひかねない時の徳次にもどつていた。そして、今泉も話すべきことはもう話してしまつた。彼は次の聴手を探す必要がある。

    「どうぞ」

    「それは惜しかつたですな。私などとちがつて学資の心配はなかつたでせうし」

    房一には連れが二人あつた。

    一方には盛子の妊娠があつた。それは気を痛めるやうなものではなかつたが、やはり房一の存在の奥深く喰ひこみ、そこに微妙な、ふしぎな目に見えない点を植ゑつけた。道平の病気は彼を動揺させた。この二つは房一にとつては切つても切れないものだつた。そして、そこには或る一つの脈絡と対比が、生れるものと去つてゆくものとが、今や動かしがたい明瞭な兆候となつて現れていた。それは今までたゞ一方的に無我夢中だつた房一をひよいと立ちどまらせ、彼をもあらゆるものをも抱きこんでいる大きな流れが、突然きらりとそのありのまゝの起伏、その横顔といつたものを見せたやうに思はれた。いや、見せただけではない、知らぬまに、予期せぬうちに、彼はまさしくその茫漠とした果しないものの中に身体ごと足を踏みこんでいるのを、彼のまだ考へたことのないあの人生といふものが疑ひもなく彼の上にはじまつているのを感じた。

    「やっぱり半之丞の子だったですな。瓜うり二つと言っても好よかったですから。」

    「この人はちっと眠むがってるでな……」

    それは正文にかゝりつけの患家だつた。

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