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    房一は、行儀よくまだ冠を頭にのつけたまゝの小谷と練吉と並んで板切れの上に坐つていた。

    ふと気づくと、玄関に人が立つていた、半シャツの男だ。瞬間、又来たな、と思つた。

    「さうですつてね」

    道平はそのまゝ夕食を招よばれて、ゆつくり腰を落ちつけていたが、夜ふけ近い頃になつて、ひよつこり

    恐しく暗い。目の前に小河の水面がぼんやり光つて流れていた。橋を渡ると、そこは営林区署出張所の材木置場で、その向ふに稍小高い山を背負つて出張所の建物が立つていた。そこだけに、高張提灯がいくつか並び、傍で小さい焚火が燃え、疎まばらな人影が立つて照し出されていた。他には火らしいものはどこにも見えない。鐘はいつのまにか止んでいた。どつちを向いてもたゞ大きな暗さが黙り返つて立つているだけだつた。しかるに、房一の入りこんだ材木置場から橋にかけたあたりにはとまどひした無数の人が誰とも判らないまゝにつめかけ、空を見上げ、がやがや云ひ、押し合ひ、駆けまはりしていた。彼等は夢中になつて走つて来たのと、暗らがりとどこに火事があるのだか判らないためとで一様にあてどのない興奮にまきこまれ、どうしていゝかもわからず、たゞ無暗とつめかけ、そこらぢうでバケツの音がし、躓つまづいたり転んだりしていた。製材された板片の井桁いげたに積み上げられたものが、人に押されてばりばりとくづれ落ちる音がした。

    彼は年に似合はず厚く生えた白髪まじりの頭を短か目に刈り上げ、多少猫背になりながら袴の両脇から手を差しこみ、心持肱を張つて坐つていた。それは何々翁肖像といふ掛軸を思はせるやうな古風な律義さと端正さを現はしていた。

    と、入るや否や皆の前にひろげられた紙衣裳に目をつけた小谷は、ふだんよりもよけいきいきい声になつて愉快さうに云つた。この衣裳はその日の午前中に各戸に配られたのでどの家でも愉快な興奮をひき起したのである。町内の寄りでひよつと誰かが云ひ出したのは、もとより大隈首相をはじめ式典に参列する大官連の衣冠束帯からヒントを得たものであるが、結局紙製でといふことに話が落ちつくまでに、散々皆の頭をしぼり、賑かな笑声を立てたのである。が、実際に品物ができ上つてみると、想像していたよりもはるかに珍妙な仮装であることが判つた。しかも、いゝ年輩の戸主連がこの揃ひの紙衣裳で町を練り歩かねばならないといふことが味噌みそだつた。めでたい色だといふので赤が選ばれたのだが、何しろそれは安物の紙風船が雨にぬれて色が浸み出したやうなぼんやりした斑まだらに染め上げられ、触るたびにばさばさと大げさな音をたて、折目はぴんと立ち、皺はあくまで強情にしかもだんだんふえるばかりで裾だの袖口がをかしな風にまくれ上つて云ふことを利かないのだつた。いくらかへうきんなところのある小谷は、早速それを着用に及んで、座敷の中を威儀をつくつて歩きまはり、家の者の腹を抱へさせたので、その恐るべき効果は十分味つていたのである。で、他の家の主人達がどんなにそれを着こなすものか、今となつてどんなに尻ごみするものか、様子を見たくなつて、先づ手はじめに房一のところへ出かけて来たらしい。

    私にとっては、三十八度から四十度ぐらいが最も快適な入浴であることを確認したが、冬は湯上りの寒さに抗する必要があるので、多少汗ばむのを我慢して、四十一二度の温泉の湯につかる。伊東市でこれ以上チッポケな湯殿はなかろうと思われるぐらい、洗い場もないほどのところだが、私にはこれ以上の広さも必要ではない。ただ釜たきをする人たちが気の毒であった。

    「いいや、子供は助かった代りに看病かんびょうしたお松が患わずらいついたです。もう死んで十年になるですが、……」

    といふやうな声を出して、彼は満足と緊張とのためにあの調子外れな表情になつて、撓しなつた竿をしつかりと引きつけはじめた。

    この時、練吉が又小耳にはさんで訊き返した。が、明かにそれはさつきの小耳訊きとは様子がちがつていた。殆ど一人で盃を傾けていたせいもあるが、つい今まで沈んでいた練吉は僅かの間に一足とびに深い酔の中に入りこんでいた。

    今泉の読んだのは予定記事だつた。だが、早のみこみと、簡単な熱中家が造作もなくつくり上げる本当らしさ、それによつてなほ熱中するといふあの癖とによつて、彼はそれをすでにあつたことのやうに話しこんだ。若し、他にまだ話したくてたまらないことがなかつたら、この報告はもつとくはしく、もつと飛躍しただらう。

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