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    そこには、房一の紅黒い、怒張した顔があつた。いつのまにやつて来たのだらう、徳次はぎゆつと片手で押へつけられたまゝだつた。そして、房一の怒声を聞いた。

    「どうも遅くなりまして――」

    と、道平は明かに盛子に気兼ねをしているらしかつた。

    八月も末だつた。十日あまり思ひがけない涼しさがつゞいたので、このまゝ九月に入るのかと思はれたが、暑さは又ぶり返して、がまんがならないほどだつた。

    「どうでした」

    この云ひ分はいつでも何かあるごとに、練吉の口に上つた。正文の前でも云つた。何年かの間繰り返された練吉の云ひ分だづた。

    「うん、もうさつき帰つたよ」

    「何かね、わしがどうしたといふんかね」

    「はい、若先生に代りに行つてもらへとおつしやいました」

    「フム」

    それは六月も末のかつと輝いた午ひる近い一つ時だつた。いや、正午はもう廻つているかもしれない。畑地には道路のすぐ傍にあまり大きくない柿の木がぽつんと一本だけ立つていた。その葉はまだ新芽の柔かさを保つていた。日にきらきらしている。さうやつてひとりでに自分を磨いているみたいだつた。誰も表の道路を通らなかつた。

    茶器を持つてこちらへ近づきながら、盛子自身も何となく眩しいやうな目つきをしていた。それは彼女に溢れている若さだつた。その声で想像させたやうな細身ではなく、むしろ中肉だつたが、背が高いので一種の優しみが現れていた。

    老父の道平が卒倒した今はちやうど房一の忙しい時期だつた。と云ふのは、彼の患者の大部分を占めている農夫達は農閑期に入ると、それまでがまんをしていたために急に病気になつたり、ぶり返したりするのであつた。道平はここ三四日の間が危険期だつた。房一は殆どつき切りで、間には何度も家の方へ来る患者の診察にも帰らねばならなかつた。

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