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    「うむ、何かあ」

    「ほう、往診かね」

    「さうなんです。ちやうどいゝ案配でした」

    ふたたび相手の鞄にちらりと目をやりながら、練吉は半ば信じない風に訊いた。

    「さうかよ。おれは又、河原町を通るんだとばつかり思つた」

    房一は思はず笑ひ出した。

    徳次は足を踏ん張つて立ち、まだそこら中を見まはしていた。房一はちらりとその顔を見たが、黙つて片づけていた。

    今の家は比較的街に近くて、この上もなく閑静だ。私の書斎の下は音無川で、一方は水田であり、自分の家の物音以外は殆ど音というものがない。その上、温泉もあるというから、非常にぬるい温泉だと仲介者も差配も家主も念には念を入れてダメを押したのを承知の上で越してきた。

    と、房一を誘つていた。

    やがて、鈍のろい、呆ぼけたやうな返事をしながら、房一の湯上りでよけい赤紅あかく輝く顔がのぞいた。彼はゆつくりと兵児帯をまきつけていた。だが、その様子とはおよそ反対な強きつい、きらりと光る目で、盛子のうしろに、半泣きになつた、取乱した青い顔で立つている徳次の妻、ときを見た。

    読経がはじまつた。皆話をやめてその方を向いて坐り直した。

    ここの温泉は、私にも、いくらかヌルすぎる。というのは、胃のところが冷えてくる。けれども胃の上へタオルをのッけておくと、冷感が去るので、入浴しているうちは、たのしい。私は三十分から一時間、時には一時間半はいっていたこともある。だんだん、ねむくなる。枕があったら、このまま、ねむりたい、と思うことがあった。

    むかしからおれとこの人とは仲よしだつた――それは押しかくすことのできない悦ばしさだつた。

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