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「――さうだな」
「なあんだ、まだ訴訟してるのか」
「なに、切れてるつて?」
かういふことになると、彼の話振りには一種の無邪気さが現れて釆る。
「わたしはね、こいつは割れさうだなと思つたもんでね」と、笏で自分のはいている木沓を指して、
と、云つた。
房一も人に揉まれて立つていたが、構内の落ちつきを見ると、近よつて事情を確かめようとした。すると、その時、彼よりも先きに誰かがやはりさうしようと思つたらしく、構内へ上る土手に足をかけようとしたはずみに、そこは溝だつたと見え、たちまち安定を失つて水の中に落ちた。男はすぐに土手に匍ひ上つたものの、下半身づぶ濡れになつたらしく、しきりと裾をしぼつているやうだつたが、又滑つて尻餅をつき、土手にへばりついたのが、ちやうどその上方に立つた高張りの明りでぼんやりと、だが、蛙か何かがばたついているやうに見えた。その時、高張りの下で木柵に凭もたれて様子を眺めていた長身らしい人影が、突然大きな笑ひ声を立てた。すると、火事騒ぎで興奮していたらしい下の男は、土手の途中に立ち上ると、
盛子のお腹では、もう胎動がはじまつていた。
張りのある、いくらか甘えやかな、跳ね上るやうな盛子の声を、その男はいかにも耳珍しげに一つ一つとつくりと聴いているやうな様子でいたが、そして台所からさす電燈の明みの中に立つた盛子をまじまじと眺めながら、その遠慮深い調子の中に急に溢れるやうな親しみを浮べた。それは何だかこの男が幼い時分の盛子をよく世話してくれて、何十年かたち、今ふたゝび盛子を前にして昔を思ひ出した、とでも云つた様子だつた。
やゝあつて徳次が訊いた。
「今晩、寄せてもらつてもえゝですか」
たしかに、「家」に関するかぎり、正文老夫婦が口を利くべきだつた。おかげで、練吉はかういふことにつきもののいざこざの矢面に立たなくてもいゝわけであつた。それから、どうなつたにしても練吉自身の責任は免れるといふものだつた。――「まさに、おれはこの年になつても子供だ。子供は親の云ふことを聞くものだ」と、練吉はいくらか小狡こずるく又いくらか皮肉げに傍観していた。
と、徳次は足を踏ん張つたまゝ今泉に云ひかけた。こんなに彼の方から話しかけるなんてことは滅多になかつたので、よほど虫のいどころがよかつたのだらうが、それでもいつものあの愚弄するやうな色は争はれなかつた。
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