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    「なんだ、さつぱり判らんぞう」

    さう云ひすてて、大きな音を立てて下駄をひきずりながら立去つたのだ。

    「どうも、済んまへんでした」

    「お前、往診に出てた?」

    彼は男の顔を蔽つている手拭をとりのけながら云つた。

    「どれ一つ診ませうかな。――ふうむ、これあどうしたのかね、ハッパでやられたのか」

    男は病人から房一へぎろりと眼を移すと、

    「さつき、河原で、先生に会つたんでさあ。――往診に出かけなさる途中でね」

    と、小谷は人差指と中指を二本突き出して見せて、

    今、房一の顔に現れているのはさういふ怒気だつた。ただ、それは盛子に向けられているのでなしに、房一の内部に立ちはだかり、自ら押へつけしている、それから来る圧迫感だつた。――

    だが、あんなに身勝手を通して来ながら、それを正文が許してくれたことは少からず練吉には意外だつた。それは子供の頃から頭に沁みこみ、こしらへ上げていた頑固な気むつかしい父親とは似ても似つかないものだつた。その、子供の頃に得られなかつた正文の愛情を、練吉は大きな身体をしてむさぼり味つたやうなものだつた。この意識は彼を一変させた。彼はしたがつて、今では一面善良な大石家の息子だつた。同時に、あの永い間に受けたきびしい圧迫の記憶は、いまだに或る作用を及ぼしていた。どんなにのんきさうに帰つて来ても、一たん家の中に入るや否や、何かしらむつとした、気むつかしい、わがまゝらしい表情も宛あたかもとつてつけた面のやうに知らず知らず練吉の顔に浮ぶのだつた。

    「ふうん、それもよからう」

    「あら!」

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