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「袴はそこですよ。足袋を先きにはくのよ」
「あなたは、多分――」
「はあ!さう――ですね」
浴客同士のあいだに親しみがあると共に、また相当の遠慮も生じて来て、となりの座敷には病人がいるとか、隣の客は勉強しているとか思えば、あまりに酒を飲んで騒いだり、夜ふけまで碁を打ったりすることは先ず遠慮するようにもなる。おたがいの遠慮――この美徳はたしかに昔の人に多かったが、殊ことに前にいったような事情から、むかしの浴客同士のあいだには遠慮が多く、今日のような傍若無人の客は少かった。
「さうか、――そんなに何もかも、こつちでして貰つてもえゝか」
と、小谷は人差指と中指を二本突き出して見せて、
徳次はこの往診といふ言葉がさきほど河原で房一の口から聞いた時に突然耳新しく身近かに響いたのを思ひ出しながら、それを口にするのを楽しむやうにつけ加へた。
「あら、お帰んなさい。随分早かつたのね。もう済んだんですか」
「さうなんですよ。まあだ帰らないの」
「別に惜しいほどのことではありませんよ」つづけて、ふいに調子を変へると、
房一はすつかり夢中になつていた。
「小倉組の連中が来たちふぢやないかね。ほんとうかね」
房一は思はず笑ひ出した。
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